倒産・再起までの150日

NHKドキュメンタリー
倒産・再起までの150日

景気や会社の現実と、経営者の考えるべきこと。
さて、自分はここまでの決意を持って仕事に当たれるだろうか。
そのうえではやはりアイデアと踏み出してみることが必要なのだろう。
学ばねば。考えねば。取り組まねば。
自らの存在の意義を打ちたてるためにも。


NBCコンサルタンツ(株)後継者教育推進室 室長川井 泉(38歳)氏のブログより
http://koukeisya.exblog.jp/13300817/

「倒産」が生み出す地獄
時間は23時。
NHK総合にチャンネルをあわせ、横目で画面を見ながら仕事をしていた私の手は、唐突に浮かび上がった下記の文字に目を奪われ、はたと止まった。
「倒産・再起までの150日」
北海道旭川市の食品加工会社「(株)藤六食品」の社長、捧範行氏(57歳)は、本年7月に親から引き継いだ会社を倒産させ、民事再生法適用の申請を決断。会社の債務に連帯保証をしている社長個人は、膨大な借金を抱え自己破産することになるが、従業員の雇用を守り、取り引き先の連鎖倒産を防ぐ最後の選択だったという。倒産を決断した日から、引き受け手の会社への事業譲渡にこぎ着けるまでの、捧社長の激動の日々に密着した45分の番組だった。
気がついたら、番組で語られる種々の言葉を書き留めていた。番組で描かれていることは、私たちと無縁の世界の出来事では決してないことを、息がかかるほど間近で、しかも今すぐにでも起こり得ることをあらためて思い知った。
過去に類例がない大不況に押し包まれた地方の中小企業が直面する、「倒産」という衝撃的な事実がどれほど多くの悲惨な状況を生み出すのか、淡々と描かれる映像の向こう側にあらためて垣間見た思いがする。
番組に対する評論をここで語ろうとは思わない。しかし、今にも切れそうになる気持ちを必死に繋ぎ留めながら、会社を、社員を、取引先を守ろうと最後の最後まで必死に奔走する社長の姿に、離婚も覚悟した夫に、大丈夫よと力強い言葉を返した奥様のけなげさに涙が溢れた。TVを見て泣くなど久しくないことだった。ブログに書こう、少しでも多くの人に伝えようと考えた。
同社の事業引き受けを承諾した会社の社長の言葉が印象的だった。「本当に、クソがつくほど真面目にやってきたのはよく分かるよ・・」そう。誰もが必死でやっているのだ。社長も社員も取引先も。それなのになぜ・・?「経営」というものの、あまりに非情で残酷なひとつの側面だ。
また、この社長はこうも言う。「今までと同じことをやっていて良くなるはずがない」・・何と聞き慣れた言葉だろう。私たちも同じ言葉を指導先に伝えてきた。しかしそれがいかに難しく大変なことか、私はこの1年の後継者事業を通して、そしてわが社も直面した不況下での厳しい戦いを通してあらためて痛感する。
我々がこの志事についた原点は、このような人たちを救うため・・ではなかったか。いつしかそれを忘れ、正義感を振りかざし、己を高みに立たせてしまえば、すべての歯車が狂い、その一切が自分に跳ね返ってくることをあらためて思い知らねばならない。
激動の1年も間もなく幕を閉じる。明年、「経営」という名の間断なき戦いはさらにその厳しさを増すだろう。あらためて自身のこの1年を振り返り、大いに反省し、来期へ勇往邁進していきたい。
「新しき進歩の歴史を雄々しく切り拓き、創り上げるものは青年の熱と力である」
私が尊敬する、ある教育者の言葉だ。挑戦がなくなったら老いる・・という。言葉を返せば挑戦のある心は常に「青年」である。来期も大変な1年になりそうだ。しかし一歩も退かずに戦おう。老いるにはまだ早い。


Hail Holy Queen 普通のサラリーマン&キリスト教カトリック)信者の日記ブログより
http://barnaba.blog73.fc2.com/blog-entry-233.html
藤六のドキュメンタリから
23時からNHKで「倒産~中小企業・再起までの150日~」が放映された。北海道の旭川にある、昭和21年創業の「藤六食品」。民事再生手続申請から再出発までの150日のドキュメンタリだ。
藤六食品は捧範行さんという方が社長を務める食品加工会社の老舗である。主力商品は、北海道産の豆を加工した各種豆製品や海産物をふんだんに使った茶碗蒸しなどなど。リーマンショック以降の景況悪化の中で、この会社の経営も打撃を受け始める。食品加工業界にとってかきいれ時である年末商戦まで何とか持ち堪えようと捧社長は奔走するが、限界に達する。従業員の雇用と会社の生命を守るために、民事再生法適用を申請することを決意する。

ある日の終業後、従業員69人を前に、落涙を抑え切れずに斯様の事態に至ったことを伝える社長。「今年、日本の多くの企業で見られた光景かもしれない」というナレーションが流れる。
小樽にある北海道村という会社が、藤六食品の経営権を買い取ることとなる。新社長の英断のもと、キャッシュフローの抜本見直しや商品ラインナップの変更が次々と断行されてゆき、同社は北海道村グループの一員として再起への道を歩み始める。
戦後の混乱の中、お惣菜作りから始まったこの会社を、ご両親から引き継いだ捧さんである。その会社を一旦潰して立て直すという決心は、苦渋どころでは済まない心境のもとになされたのであろう。従業員を守り、取引先の連鎖倒産を防ぐために、ご自分が多額の債務を負って自己破産をしてでもこのような方法を取るしか道はない。いや、それが最善の選択と、捧さんは涙を呑んで民事再生法適用申請へと進まれたのだ。
会社の経営破綻については、当の私自身も今年、自分に降り掛かったこととして体験したわけだが、この、従業員69人を束ねる捧社長と、従業員700名強の上に立っていた私の前勤務先の社長とでは、選んだ道は正反対であった。私の前勤務先のA社長がとった道は、今となっては結果論に過ぎないが、従業員の命運を預かる企業体の長として失策であったのは事実だし、一触即発の状況下で事業を継続することによって、クライアントやステークホルダーのみならず、何よりも「お客様」に損害や迷惑が及ぶ可能性については、もしかすると露ほども考えてはいなかったのではないかとさえ、思わざるを得ないのである。結局のところA社長は、お客様は金を生む道具、従業員は使い捨てのロボットという思考回路から、抜け出せていなかったのだろう。彼が独立して会社を創業する前、育てられた会社は、そのような文化を徹底して作り上げてきた企業だったようだが、受け継いだそのDNAは、時代と共に素早く転換がなされてこそエクセレントカンパニーを目指すリーダーとして然るべきであった筈だ。変化にフレキシブルかつスピーディーに対応し、リーダーシップを発揮して欲しかった。しかし、従業員のマネジメントも顧客維持活動も取引先とのパートナーシップについても、前時代的な態勢が何の危機感もなく続行されていた。異議を唱える社員は閑職に回すか自主退社を促すかであった。末端まで素因を解明していけば、経営破綻という結果に至ったのは自然の成り行きであったとも言える。尤も、従業員にしても多くは、そのような環境においてある意味での妥協、つまりハイリスク&ハイリターンであることを承知の上で就業をしていたのだから、一定の自己責任は生じるが、各従業員または各セクションからの、ビジネスそのものや労務に関する要望や提案に真摯に向き合ってはこなかった責任は、やはり社長にある。
このブログでも以前書いたように、私自身の感情の面では、もう「怒り」とか「憤り」或いは「被害者意識」というものを捨て去ることをとうに自分の中で決めている。それは、私自身の力によるのではなく、私の内におられる聖霊のわざによる。
今夜の藤六食品のドキュメンタリを通して、どうかこの会社の方たちが新経営陣のもとで立派な再起を果たして欲しいと願わされ、また、散り散りになった我々の仲間の無事安泰をひと時祈った。